本人の思いと介護する立場の思いは必ずしも・・・。 [介護etc.]

 母は左足に、膝下までの装具をつけています。足形に合わせた装具をつけて、その装具に合わせた靴を履いています。

 時々ですが、靴を履かせてから装具を無理矢理つけさせた状態で帰ってきます。装具をつけてから靴を履くタイプと、靴を履いてから装具をつけるタイプとあるので、どっちのタイプかを見ないといけませんが、素足に合わせた足形の装具は、靴を履いた状態でつけても、合うはずがありません。必ずずれてるし、マジックテープもずれています。母の足下を見て、よく押し込んだな〜と感心することすらあります。介護する人も必死だったんだろうなと思うのですが、冷静に考えたらわかるだろうにと、冷ややかな気持ちになることもあります。

 「装具つけてもらっている時、靴履かせてもらっている時に、なんで教えてあげないの?毎日履いているから、お母さんはわかっているでしょ!」と言っても、母も母で、「何か言っていたけど、足下をよく見なかった」とか「わからなかった」とか言います。これも老いなのかもしれませんが、人にやってもらていることに対しての判断が出来なくなってきています。つまり、介護される人は、介護する人のするがままになると言うことで、そういう母を見ると、介護をいい加減にはできないなと強く感じるのです。

 本人が何も言わない、分からない分、周りが気づいてやる、やってやるというのが介護です。それを介護する側の思い込みや自己満足でやってしまっていることもあるな〜と反省するのです。装具や靴は一度教えれば、もう間違うことはないと思いますが、日常生活の中で本人にとってよいことだと思っていたことが、実は本人のストレスになっていたということがある、という話しを最近聞き、mizumiuも勘違いしていたなと反省しているところです。

 本人のため、リハビリだから、と言って、病院受診や外出の際に、半ば強制的に歩かせると言うことが、とてもストレスになっていることがあるそうです。本人は、人に頼っている、助けてもらっている、自分のせいで周りを待たせている、迷惑をかけている、という心境に陥ってしまうそうなのです。もしリハビリするんだったら、デイケアでするとか、家の中ですればいいのだろうけど、それを外でもやるのは、相当なプレッシャーとストレスになるようなのです。

 介護する側が本人のためだと思うことが、本人のためにならないどころかストレスになっていることもあるというのを認めるのは、正直歯がゆい気持ちになりますが、認めざる経ません。一生懸命やってやってるのに、本人に拒否されると、凹んだり悲しくなったり、怒りを覚えたりします。でも本人の気持ちを尊重するという謙虚な姿勢を忘れると、とても大事なものをなくしてしまいそうです。それでは介護をやっている意味がありません。

 本人に、介護してもらって申し訳ないという思いを抱かせるような介護は、半人前だと言われました。5年も介護してきたのに、キッツい言葉だなとも正直思いました。でも、マザーテレサのようにはなれないし、なろうと思ったこともありませんが、mizumiu自身、自分の思いを父と母に押し付けるようなやり方は、極力しないようにしようと思いました。やってあげなければ!、こうあるべきだ!というのを捨てたら、介護も少しは楽になるような気がしています。一度家を飛び出して介護から離れたので、父と母の介護に対して冷静な判断が出来るようになっているな〜と、mizumiu自身の変化にも気づけた一日でした。
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